大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京高等裁判所 平成7年(う)216号 判決

主文

本件控訴を棄却する。

当審における未決勾留日数中一八〇日を原判決の刑に算入する。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人梓沢和幸、同坂元雅行、同佃克彦が連名で提出した控訴趣意書に、これに対する答弁は、東京高等検察庁検察官大栗敬隆が提出した答弁書にそれぞれ記載されたとおりであるから、これらを引用する。

第一  事実誤認の主張について

所論は、要するに、原判決は、被告人に対しA子に対する強姦致傷の事実を認定したが、同女の原審証言は信用性に幾多の疑問があるのに、原判決は、同女の供述を軽信し、他方被告人の供述については、安易にこれを虚偽であるとして排斥するという証拠評価の誤りを冒し、信用性のない同女の供述に依拠して前記のように認定したもので、被告人と同女との性交は合意に基づくものであるから被告人の行為は強姦に当たらず、また、仮に同女が被告人との性交に応ずる意思がなかったとしても、被告人は同女が性交を承諾しているものと誤信していたのであるから、錯誤により強姦の故意が阻却され、被告人は無罪とされるべきであり、原判決には判決に影響を及ぼすことが明らかな事実誤認がある、というのである。

しかしながら、関係証拠によれば、原判示事実は優にこれを認めることができ、原判決が、「事実認定の補足説明」の項において、詳細に説示するところも正当としてこれを是認することができるのであって、原判決に所論の誤りがあるとは認められない。以下、若干補足する。

一1  関係証拠によれば、被告人が、原判示日時ころ、東京都《番地略》所在の甲野アパートF棟二階一五号室被告人方にA子(以下、単に「被害者」という。)を連れ込み、同所において、被害者と性交に及んだこと自体は明らかであり、被告人もこれを争うものではないが、被告人は、同女と合意により性交したものである旨所論に沿うように供述する。

2  これに対し、被害者は、原審証人として、大要原判決が説示するように供述し、被告人から原判示のような暴行、脅迫を加えられて強姦された旨明確に供述しているところ、同女の供述は、本件に至る経緯、その前後の状況等を含め、極めて具体的で、自然かつ合理的なものであり、その供述全体を通じて、同女が本件の際の状況について、率直に述べていることが認められ、その信用性に疑いを差し挟むような節はまったく見当たらないのであり、同女の原審証言を含む関係証拠によれば、原判示事実はその証明が十分である。

二1  所論は、被告人は、強いて被害者を被告人方に連れていったものではなく、同女は任意に被告人と同行し、自己の意志で被告人方居室に入ったものであるから、同女において、被告人との性交渉に至る蓋然性を知悉していたものであり、このことは、ひいては、被告人が同女を強姦したものではないことを示すものである、などと主張する。

(1) そこで、被害者において、被告人方に赴いた経緯や被告人方室内に入った前後の状況等について見ると、関係証拠によれば、以下のような事実が認められる。

被告人は、平成六年一月六日午後七時頃、営団地下鉄有楽町線乙山駅の階段で、帰宅途中の一面識もない被害者に英語で声を掛け、同女が被告人を無視して行き過ぎようとしても同女に付きまとって話しかけてきたこと、同女は、被告人を軽くあしらっておけば諦めて離れると思い適当に応答していたが、被告人は一向に諦めず、途中同女が買い物のためスーパーマーケットに立ち寄った際も、スーパーマーケットから出た後も、執拗に同女に付きまとってきたこと、同女は、自分の住まいを知られたくなかったことから、スーパーマーケットを出てから自宅には向かわず乙山駅の方に引き返したこと、被告人は、なおも同女に纏わりながら、「お前の家に連れて行けないんだったら俺の家に来るしかない。」、「自分の家に寄っていけば早く帰す。」などと言い出し、同女の背中に手を当てて押すようにしたり、腕を引くような仕種をしたこと、同女が被告人方アパートの前まで行くと、被告人は、「五分で帰す。」と言って同女に被告人方居室に入るように促し、同女がやむなく室内に入ると、「三〇分したら帰す。」と言い、被害者の背負っていたリュックを外し、更に後ろから同女のコートを脱がし、右コートをクローゼットに入れ、ワインやコーラを出したが、同女はコーラに口を付ける仕種をしたものの飲まなかったこと、それから被告人は、紙とペンを取って、同女に渡し、名前とアドレスを書くように言い、「アドレスを交換したらグッバイだ。」などと述べたので、同女は被告人の望むようにすれば帰してくれるものと思い、言われるままに自分の住所等を書いて被告人に渡した後、室外へ出ようとしてクローゼットからコートを取り出しかけると、被告人はにわかに態度を変えて怒り出し、「何するんだ。とにかく座れ。」などと言って同女の肩を押し、「暴力は好きなのか。」という意味のことを言い、拳を握り締める身振りをするなどしたこと、

以上のような事実が認められる。

(2) ところで、右のように、被害者が、被告人方居室に入るまでの間、被告人は、同女に対し直接暴力を振るうなどの行為はしていないものの、被告人は、一見体格に優れ、被告人と一面識もない同女から見れば容貌魁偉の外国人男性であり、同女は宵の口とはいえ夜間の道を被告人から執拗に付きまとわれたのであるから、その間、物理的には被告人の側から逃げだす機会があったとしても、同女としては、心理的に被告人の意に反する行動を採ったり、抵抗したりすることが困難な状態にあったことは、容易にこれを推測することができ、同女が、被告人から促されるまま被告人方アパートに入ったのも、右のような状況におかれていた同女が、被告人に逆らい機嫌を損ずれば、いかなる報復的な行為を受けるかもしれないという不安や被告人の言うようにしておけば程なく解放してくれるであろうという期待から、心ならずも被告人の言葉に従ったものであることが窺えるのであり、同女が、「どうしても逃げようと思えば逃げられたかも知れませんが、人通りもなく、抵抗してもっと悪い状態になるのが恐ろしくてできませんでした。」とか、「状況的には殴られたり、引っ張られた訳ではない。」としながらも、「精神的には(被告人方居室に)入らされたという感じ」であり、「(リュックを外されたりコートを脱がされた際も、被告人の)神経を逆撫ですることを極力避けていたので抵抗しなかった。」旨供述しているのは、この間の同女の気持ちを率直に物語るものであって、前記所論は、このような状況に置かれた同女の心理状態を無視して、もっぱら同女が自由意思で、任意に被告人方居室に入ったかのようにいうものであり、到底採るを得ない。

2  所論は、また、被害者は、被告人から肛門性交をさせられたと供述するが、右は、被告人の供述と矛盾するばかりか、診断書にもこれを窺わせる記載がないから同女の供述は信用できない、と主張する。

しかし、被告人の供述は、後に述べるようにそもそも信用できないものであり、肛門性交によって、診断上、必ずこれを推知できる傷害等の痕跡が残るという訳のものではないことが明らかであり、また被害者が事実に反してそのような事実を供述するとも考えられないのであって、右所論も採用の限りではない。

三  所論は、原判決は、〈1〉被告人が、始めて被害者と会ったと供述していた平成五年一二月二八日午後九時から一〇時ころまでの時間帯には、被害者は友人と通話していたのであり、これを証する電話料金内訳表が提出されてから被告人が従前の供述を変えたこと、〈2〉被告人は本件以前の平成六年一月二日に被害者方付近で被害者と電話番号等を書いた紙を交換したと供述するが、引当たり捜査の際、被告人が、その場所を指示することができなかったこと、〈3〉被告人は、(被害者が述べているように)被告人方室内においてコーラを出したことはない、と供述しているところ、平成六年一月一三日に実施された被告人方の検証調書添付の写真には、テーブル上に置かれたコーラのペットボトルが写っていることなどからも、被告人の供述は信用することができないと説示するけれども、〈1〉については、被告人は、捜査官の誘導により、被害者と最初に会った日を一二月二八日と規定されてしまい、そのような記憶を持つに至り、それが真実であると思い込んでいたところ、後日記憶が違っていたことを知って動揺したもので、被告人が右の点の供述を変えたからといって被告人の供述一般の信用性を左右するものでなく、〈2〉については、被告人が一度しか行ったことがなく何の変哲もない被害者方付近を指示することができなくとも不自然ではないばかりか、被告人は最終的には被害者方を指示できたのであり、〈3〉については、テーブル上にコーラのペットボトルがあったからといって、被害者にコーラを出していないという被告人の供述と矛盾しないし、また、仮にこのような瑣末な点に思い違いがあったとしても、これをもって被告人の供述の信用性の判断材料とすることはできない、などとるる主張する。

しかしながら、所論〈1〉については、被告人は、捜査段階において、「一月六日(本件当日)に被害者と会ったのは四回目である。一回目は一二月二八日である。二回目は一月二日である。三回目は一月四日である。」などと供述し、原審公判においても、電話料金内訳表が公判廷に顕出されて被告人の供述する一二月二八日の時間帯には、被害者が自宅で友人と電話で通話中であったことが明らかにされる以前には、「(被害者と始めて会ったのは、)一九九三年一二月二八日火曜日乙山駅で夜九時から一〇時の間のことである。」などと日時のほか曜日まで挙げて具体的に供述していたものであるところ、捜査官が被告人を誘導するなどして、被告人において、本件以前に被害者と会ったと弁解している日時を一二月二八日であると供述させる必要はまったくなく(なお、被害者は、前記のように、一貫して、本件以前には、被告人と面識がなく、被告人と会ったことなどはないと供述している。)、右の点に関する被告人の供述は虚偽と認められ、このことは、被告人の供述全般の信用性を疑わせるに十分であり、〈2〉については、平成六年一月二七日に、捜査官が、被告人に案内させて引当たり捜査を実施した際、捜査官は、被告人が被害者の自宅付近で被害者と名前や電話番号等を書いた紙片を交換した旨述べていたところから被告人にその場所を案内させたこと、そして捜査用自動車で、あちらこちら被告人の指示するところを回ったものの、被告人は右場所を指示することができず、右場所の引当たり捜査を終了しようとしたとき、偶然被害者が通り掛かったので(なお、被告人は、前記のように帰宅する被害者に付きまとったものであるところ、その近辺において引当たり捜査中、付近に居住する被害者が通りかかったこと自体に不審はない。)、捜査官が被害者を引き止めたところ、被告人は、その直後、「ここだ、分かった。ここがA子のアパートだ。その道だ。」などと言って、前記引当たり中に偶然被害者と出会った場所を示し、被害者の家はその方向だとわめき散らしていたが、被告人の指示する方向に自動車を走行させても、被告人は被害者方アパートの前を通り過ぎてしまい、被害者の住居を指示することができなかったことが認められるのであり、右の際、被告人が最終的には被害者方を指示できたという所論は、その前提において失当であり、〈3〉については、被告人は、一月七日原判示の経過で被害者から救助を求められたスーパーマーケットの店員の通報により臨場した警察官に、その場で現行犯逮捕されたもので、一月一三日の被告人方室内の検証当時、被告人方は本件当時の状況のまま残されていたところ、右検証調書添付の写真には、テーブル上にあるコーラのペットボトル(飲みかけのもの)が撮影されているのであって、右事実は、被告人がコーラを出したという被害者の供述を裏付けるとともに、これを否定する被告人の供述の信用性を減殺するものというべきである。

その他、被告人の供述は、それ自体不自然、不合理なものを多く含み、その供述は、その場、その場で自己の都合に合わせて変遷するなどの傾向が顕著で、関係証拠に照らし全体として到底信用するに値せず、これらの点に関する原判決の説示に何ら誤りがあるとは認められない。

四  また、被告人の犯行状況は、原判示のとおりであって、被告人において、被害者に対し、原判示の暴行、脅迫を加えて被害者の反抗を抑圧し、強いて同女を姦淫したものであることは明らかであり、関係証拠を精査しても、右の際、被告人が、同女において、被告人との性交に応じる意志があったと思い違いするような状況は、まったく認められないから、その旨の所論も到底採用の限りではない。

五  その他、所論を検討しても、いずれも採用するに由なく、原判決に所論のいうような事実誤認があるとは認められない。論旨は理由がない。

第二  量刑不当の主張について

所論は、要するに、「原判決は、被告人を懲役五年に処したが、被告人は、本件で勾留中に拘置所職員から、いわれのない人種差別的暴言や暴行を受け、このような暴虐行為により精神的、肉体的に多大の苦痛を受けた。このように国家機関である拘置所職員により暴虐行為がなされた以上、国家が犯人処罰の適格性を欠くに至り形式裁判により刑事手続きを打ち切らなければならないこともあり得るというべきであるが、少なくとも、国家がこのような違法行為をあえてした以上、情状事実としてこれを考慮すべきであって、このような事情を考えると、原判決の量刑は著しく不当であるから、原判決は破棄されるべきである。」などというのである。

そこで検討すると、被告人は、本件強姦致傷の事実により東京拘置所に勾留されているところ、当審における事実取り調べの結果によれば、被告人において、右勾留中に拘置所職員からたびたび人種差別的言動や暴行、いわれのない懲罰処分等を受け、右暴行により受傷するとともに精神的な苦痛を受けたなどとして、国を被告として東京地方裁判所に不法行為に基づく損害賠償請求訴訟を提起したこと、右訴訟において被告である国はこれを争い、同裁判所に右訴訟が継続中であること、被告人が前記勾留中に拘置所内における規律違反行為を理由として再々監獄法に基づく懲罰処分を受けていることなどが認められる。

ところで、刑事被告人が、勾留されている間に、拘置所職員により暴行、凌虐等を受け精神的、身体的な苦痛を被ったという事情は、それが事実であれば、当該事件が原因となって被告人の心身に生じた事情として、量刑事情の一つとなることを否定することはできない。

しかし、勾留中の者が、拘置所職員により暴行、凌虐を受けるなどした場合には、被害事実について告訴するなどして当該拘置所職員の非違行為を司直の手に委ねることが可能であるし、国家賠償請求訴訟の提起により、その者の被った肉体的、精神的損害の賠償を求めることもできるのである(現に被告人は、前記のように国を被告として国家賠償を求める訴訟を提起している。)。したがって、そのことが所論のいうように国の犯人処罰の適格性を欠く事由になるなどといい得ないことはもとより、刑の量定が犯人の責任を基礎とすべきものである点からみて、通常、その者が犯した犯罪についての量刑を決定的に左右するような事情になるとも思われない。

これを本件について見ると、前記国家賠償請求訴訟を本案とする証拠保全手続きにおいてなされた被告人の身体の検証、鑑定の結果等によれば、被告人の身体に、被告人において、拘置所職員から受けたという暴行等と因果関係があると認められる顕著な傷害の痕跡等は見当たらず、少なくとも被告人が、これにより、その身体に重大な傷害を負った事実があったとは認めがたいところであり、量刑の基本となるべき本件事案の性質、態様等と対比し、それが本件において、原判決の定めた被告人の量刑を左右するものとは認められない。

そして、本件が強姦致傷という重大事犯であり、犯行態様が執拗かつ悪質であること、未婚の被害者が受けた精神的、肉体的苦痛は計り知れないものがあること、被害者に対する慰謝の措置はまったく取られていないこと、被害者が被告人の厳重処罰を望んでいること、被告人が終始不合理、不自然な弁解を繰り返し、反省の態度がいささかも見られないことなどの諸事情を考えると、その犯情は悪質で、被告人の罪責は極めて重大であり、被害者においても、被告人に付きまとわれ畏怖、困惑した結果とはいえ、被告人の要求を拒絶する勇気に欠けて被告人の居室に立ち入った点、若干の落ち度があったことなどを斟酌してみても、原判決の量刑は、相当であり、これが重過ぎて不当であるとは認められない。論旨は理由がない。

よって、刑訴法三九六条により本件控訴を棄却し、平成七年法律第九一号による改正前の刑法二一条を適用して当審における未決勾留日数中一八〇日を原判決の刑に算入し、当審における訴訟費用は刑訴法一八一条一項ただし書により被告人に負担させないこととし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 小林 充 裁判官 中野保昭 裁判官 小川正明)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例